性格が神経質だから、神経症にかかると思われることがあるかもしれません。
しかし、性格が神経質でも神経症にかからない人はいます。
では、どうして人は、不安障害やパニック障害のような神経症にかかるのでしょうか?
神経症の元
オーストラリアの医師、クレア・ウィークスによると、
心身の疲労とストレスに、「恐怖」が加わったときに、それは神経症になると言っています。
何かに対して、「恐怖」を感じることはあるでしょうか?
世の中には、色んな恐怖症があります。
先端恐怖症、集合体恐怖症、ピエロ恐怖症などなど、色んな恐怖症が存在しています。
なぜ、恐怖と言うのが生じるのでしょう?
それは、恐怖の気持が湧き上がってくるような対象を通して、何かしら不愉快な経験をしたからでしょう。
嫌な経験をすれば、誰しもが、二度とそのような体験をしたくないと思うものです。
もしくは、不愉快な経験をするに至っていなくても、不愉快な気分にさせられる、不愉快な体験をさせられるかもしれないと言った、予測的な恐怖すらあるでしょう。
私自身の経験では、私自身にとっては、アレルギー物質である科学香料の匂いが私を苦しめたので、私は、その物質に「恐怖」とも言えるような感情を抱いてしまいました。
そして、その匂いを嗅いでしまうと、アレルギー反応で喉が絞まるような感覚を思い出し、不安になり、パニックを起こすと言った連鎖ができてしまいました。
あなたは、どんな「恐怖」を、何に対して持っていますか?
私は、自分にとって、化学物質の香料が恐怖の対象とは言いましたが、他にも、恐怖とは言わないまでも、「不安」を感じる事柄は多くありました。
20を過ぎた頃でしたので、これからの将来はどうしようとか、住んでいる場所の治安だとか、経済的にどうやって自立指定校とか、色んな事柄が頭の中を駆け巡り、私はうまくやっていけるのだろうかと言う「不安」な考えがふと頭をよぎっていました。
それは、「恐怖」に近いものです。
ここに、日々の仕事や勉強のストレスや疲労が加わったのでしょう。それがパニックを起こすような脳の状態を作りあげたのだと思います。
人は恐怖を感じると、アドレナリンと言うホルモンを分泌します。
アドレナリンは人に、ストレスの強い状況下から、逃げるか、戦うかの2択の態度をとるように迫ってきます。
戦地では、生きるか死ぬかをかけて戦っている兵士たちはずっとこのホルモンを出しっぱなしです。だから、彼らは、戦争が終わった後も、過去の記憶と、過去の恐怖に苦しめられることが多いです。そのため、病んでしまう人も多いですね。
でも、私たちは戦地にいません。
なのに、「恐怖」を感じてしまいます。
普段の生活でも、恐怖を伴うくらい、過剰に何かを心配したり、将来のことを不安に思うことによって、アドレナリンを分泌しまくっていたら、体はずっと警戒態勢にいるので、心も体も休んでいません。
このため疲れきってしまいます。
そして、いつかは、この状態に耐えられず神経症として、心のうちの隠された恐怖が形を変えて現れてきます。
恐怖を振り払う方法
恐怖を感じたくないと感じたら、人はその対象を避けます。
その感情を無視するかもしれません。
でも、どうやら、そのような方法で対処しても、恐怖は無くならないようです。
どうしても、心のどこかで恐怖はくすぶるようです。そして、それが私たちの健康を脅かすのです。
では、恐怖をどう扱えばいいのかと言うと、
『恐怖を感じていることを認識し、その感情を無視しないことです』
『その感情が自分の中にあることを認める事です』
『その感情を消そうと必死にならないで、ただただ、その感情が通り過ぎるのを見守る』事。
『今すぐに何とかして、恐怖を抑えようとするのではなく、時が経って消えていくのに任せる』
これらは一見、何もしてないように見えます。
しかし、「恐怖」を味わっている時と言うのは、何かをしようと必死になるのです。
その何かをしようとしないようにすることが大切です。
お化けが怖いなら、お化けはいないなんていわず、お化けが怖いと言いつつも、暴れたりせず、おびえたりせず、ただそれがいなくなるのを待つ感じでしょうか。
そして、ただ受け入れると言う行為が意外と難しいものですが、何度も向き合って、目をそらして、向き合っていくうちに「ああ、大丈夫だ」と言う境地に達してきます。
その時まで、自分にとって無理のない範囲で自分が「怖い」と思っているものの正体を覗いてみるといいですね。
何が見えましたか?